まがれみぎ

 せっかくですから曲がれ右して落し物を探しにそこまで

 病気 > 第二の人生を謳歌できるためには

仕事を現役でバリバリこなしている若い方たちは多少の体調不良を体力で回復できますが、リタイヤ後はそうもいかなくなってきます。

また長年の不摂生や積み重なってきたストレスの影響が出てきて、場合によっては重い病気を招いたりします。
そうした可能性を心配し、リタイア後の自分の身体のことを思うと、少しの体調不良に対しても敏感になり薬に頼ったり通院する頻度が増してきます。

リタイア後は経済的にも以前と違ってくるため、多くの方は節約ぎみの生活モードになっていく中で、患った場合は医療費が大きくのしかかってきます。

更には通院が日課となり、病院から与えられる薬を決まった時間に飲むのを忘れないようにする生活が待っているとしたら、考えただけでもぞっとします。

その薬は副作用は間違いなく与えますが、体調不良を改善してくれるかどうかは何とも不透明です。

さらに、病院で5分間の診察を受けるのに通院時間と待ち時間を合わせて数時間浪費してしまいます。

これから本当の人生を謳歌しようというときに第二の人生をこんなところに時間を浪費している人たちがいかに多いことか。

水準の高い文明国であるはずの日本で、多くの国民がリタイア後の第二の人生を謳歌するどころか、精神的、肉体的、経済的に大きな負担を抱え通院生活が中心となる人生が待っているのは、一番大切なものを置き去りにした名ばかりの文明国といわなければなりません。

この課題をどのように乗り越えていくかです。


病気は神様からの警告


病気はいろいろな意味で神様からの警告であり、警告である以上まだ可能性があるととれます。

また可能性があるということは、それを実現するための道筋があるということです。

一般的にどんな警告でもその対応には速やかであることが良い結果に繋がります。

回復への道筋とは、これまでの生活習慣、心の状態を自然の摂理に即したかたちに取り戻すこと・・・となろうかと思います。

なんだ、それだけ?と思われる方もおられると思いますが、この先読み進める方と飛ばしてしまう方では大きな隔たりを生ずることになると思います。

体調不良の状態は身体に具わっている自然治癒力が機能して体内の不具合を修復している最中ですので、この状態を何らかの方法で止めるのは正しいとはいえません。
治療中は痛みを伴うわけで、それなのにこの状態を病気の状態と判断するのは間違いです。
しかし一般的な病気の捉え方はこの状態を無くしようとすること、つまり止めることが治療と考えられています。
仮に薬を服用し痛みが止まったので病気が治ったと判断したら、本当の病気は痛みが消されただけで進行し続けることになります。

これでは根本的な治療とは逆行していることになります。

ここでまず再確認しなければならないことは、自然の摂理は絶対であるということです。
人は自然の摂理に即して産まれ生きていていくなかで、想定される体内での不具合は、警告の範囲内であれば、元々具わった治癒力で回復できるようになっているはずです。
なぜならば、自然治癒力は人間の知恵をはるかに超えた能力をもっているからです。

では自然の摂理にのっとった処置とはどうすることかというと、自然治癒力が最大限不具合の元へ集中して注ぐことができるように、体内機能にできるだけ無駄なエネルギーを使わなくても良い体内環境をつくることです。

体調不良のとき私が取り組んでいる方法は水断食や食事制限で、実際よい効果を得ています。
食べ物の消化には予想以上のエネルギーが消費されるため、これをカットするこで治癒力エネルギーが優先的に必要な部位へ効率良く注がれるためと思われます。


また病気は心理面が大きく影響してきますので、少なくともこの病気が治るまではストレスや心配事を無視するくらいの気持ちが大事です。
簡単ではありませんが、大事なことには変わりがありません。

例えば病院で診察を受けて先生に癌だと言われると、ショックのあまり生命力が半減してしまいます。
それだけ精神は身体と切り離せない一体のものです。

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