まがれみぎ

 せっかくですから曲がれ右して落し物を探しにそこまで

無意識 > 無意識の美しい風景


無意識が見せてくれる人々の美しさはどれも一流です。

大人から見て無邪気に遊んでいる子供は可愛らしいだけではなく、どこか次元の違う所に存在していて、命そのもののようにも見え、とても敵わないものを感じます。

まさに無意識がそのまま形になっているようで強く引かれます。

実は私達は子供だけではなく大人の方の動きのなかにもよく無意識の動きを見ております。

例えば歩いている人の姿は、足の運びや手の振り方、腰の動き、背筋の伸ばし方など、一 人ひとりみな違う動作で表情もまちまちです。

また膝の角度や重心のバランスのとりかたなど、いちいち考えながらの動作ではなく無意識の動作です。 とても個性的です。

目的の場所へ行こうと思うだけで全身がそのような動きをしてくれます。

歩く以外にも私たちがしたいことは、そのように意思をもって思っただけで身体は目的を叶えるように動いてくれます。すばらしい完成度です。

身体の中で最も意識的に動かす部分は「顔」かもしれません。

一番魅力的に見える部分は無意識の動きのなかに多く潜んでいるのですが、何故か顔となると意識しつくってしまいます。

一方何かに集中しているときの顔は無意識状態の顔になっていて、男性も女性も個性的で魅力的です。

きっと無意識というものは、私達から何か良いものを引き出してくれるスイッチになっているのかもしれませんね。

ただし無意識を使おうとするとそれはもう無意識ではなくなってしまいますので、このスイッチは押そうとするとどっかへ逃げてしまいます。

まるで虹のように、追いかけると逃げていき、せいぜい下から鑑賞して心を洗うようにとの神様の計らいなのでしょうか。


そうした美しさがたくさん見られる環境は平和です。
しかし現代は忙しすぎて、そこへゆっくり浸かっていることはなかなか難しいため、平和は少しづつ削られてきているようです。

彼の 老子 が言っております。

「人間が素朴であった昔は、自然のままの生活で平和であったが、時代が下って人間の知恵が発達すると、人為的な掟が盛んに作られるようになる。」

人間の知恵をはたらかせるとどうしても人間に都合の良い具合に解釈していき、必ず不合理が生じてしまうということなのでしょう。


ところで、無意識では知恵をはたらかせることは普通は無理ですね。
現代のように知恵をフル活動して生きていかなくてはならない世の中では、無意識の出番が少なくならざるを得ません。

知恵をしぼるのももほどほどがいいみたいですね。

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