まがれみぎ

 せっかくですから曲がれ右して落し物を探しにそこまで

 心と身体 > 手を差し伸べるということ


私達の周りには、エネルギーが満ちています。
なるほどこれがエネルギーか・・・とは意識されないまま利用され、水や空気のように有って当たり前のところが似ています。
しかし水や空気は地上では無いところもありますが、そのエネルギーは人が存在するところにはくっついてまわる性質があるようです。

またこれは使うほど私達の内部に気力や充実感として蓄積されていくものです。

どなたでも経験があると思いますが、手助けを必要とされる方に手を差し伸べたことによって、差し伸べた方には大きな感謝の心が返ってきます。
こうして受け取った感謝の心は胸に広がり、良質な気力や充実感として前向きな行動のエネルギー源となります。

私達人間には人の手が必要とされる状況を見過ごせないような仕組みが組み込まれていて、手を差し伸べた側と伸べられた側の両方の胸に上質なエネルギーが注がれます。

手を差し伸べた側に注がれたエネルギーと、受けた側が引き出された感謝のエネルギーの総和は

1+1=3or5or10・・・

のように学校で習った算数の式には当てはまらないことが現実に起こったりします。

1+1=2 
を越えた部分の良質なエネルギーはまたどこかで必要とされるところに差し伸べられて、そこでまた良いエネルギーが生み出され・・・が繰り返されています。

しかしここにお金が介入すると不思議なことに全く別物になってしまいます。

私達にとってお金は必要なものですがここに介在することによって、この良質なエネルギーが消滅してしまうように感じます。

つまりエネルギーの足し算はお金が介在すると
1+1=1 or 1.5
などとなります。


ボランティアの現場などでよく見られる光景ですが、「ありがとう」と「どういたしまして」が響きあう周辺には良質のエネルギーがあふれており、見ている周りの人々にも伝わっていきます。

このように、生命力を喚起してくれる手の差し伸べ方もあります。

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良い手の差し伸べ方とは


一方で、人たちの内部ではどんなことが起こっているかをみてみると、良い手の差し伸べ方と必ずしもそうではない場合があることに気が付きます。

どういうことかというと、私たちはそれぞれ自立した存在ですので、そこを忘れてしまってはせっかくの厚意の質が半減してしまうということです。

手を差し伸べられる機会が増えそれが常態化してくると、それが当たり前の感覚になってしまうところに注意が必要です。

小さな子供さんや年配者を見ていて、かわいそうだからとか気の毒だからという気持ちになりますが、状況を見てちょっと頑張れば本人で対処できると感じた場合はなるべく自力で乗り越えてもらうように見守るのが、その人にとってはためになります。

私たちにとって自立しているという意識は大事なエネルギーであり、その一定量を常時確保しておかなければなりません。

過剰に手助けされ続けるとその方は自立エネルギーが目減りしていき、やがて人を頼る性格が浮上してきます。
この性格はその人の中の様々な面に現れてきて、徐々に少しのことでも人に頼らなければならないようになっていきます。

特に健康維持あるいは不具合を解消するのは、基本的に自分が治すという自立心がなければ治るものも治らなくなってしまいます。
年配者の方は気が弱くなりがちですが、不具合の中にあってもなるべく自分でできることは人に頼らないで、という自立心を心がけて過ごすことが元気で長生きに繋がることでしょう。


お世話する方は100%良心からの行為になりますので相手にとっては迷惑なはずは無いと思い手を差し伸べがちです。
しかし上で述べたように、受け取る方の状況によっては先々にマイナスな状況を引き起こしかねませんので、手を差し伸べる側も一線を知っておくことが大事なことです。

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