まがれみぎ

 せっかくですから曲がれ右して落し物を探しにそこまで

 想像の世界 >  未来を知る

誰でも夢をかなえようとそこへエネルギーを注いだことはあると思います。

その夢がかなうためには条件となっていて、その中でも結果を左右するのにはどんなことが欠かせないかを考えてみたいと思います。

ある方が夢をかなえたいと思ったとき、達成するまでの道筋を設計し次に実際の段取りを組み、効率よく手順を進めていき目的達成を目指します。

大雑把でしたがその一連の流れを深堀してみると、本人は無意識に未来を想像してプランを構築していき描かれた未来の道筋を進んでいき、夢の実現という目的地へ到達するわけです。

普通この状況で本人は未来を切り開いて・・・などとは考えていません。
しかし無意識のうちに脳のどこかで未来を読んで(想像して)プランニングし目的地へ到達したということです。

このように「未来を想像する」ことは私たちの生活で身近なところで平行して歩んできているといえます。

ところがあらためて考えてみると、普通は未来というものがどんなことなのかをあまり認識できていないのに気がつきます。

数年先以上先の世界。

未来は誰にもわからない。

未来は不安が多い

多くの方はこんなところで、それ以上のことは深追いしないで過ごしておられると思います。

私たちはよく未来を先読みしますが、上で述べたようにその取り組み方で結構なプレゼントが得られることがあります。
今後の予定を立てると高い確率でそれが実現するということです。

細かく言うと、先々に希望することを想像して次に実現するために具体的なプランをまとめ、そして成ると思い込んで手順を踏んでいくと実現するわけです。

このように未来を描くために「想像」たくましくはたらかせ、やがて「思い込み」の段階へ落とし込む手順は昔からあたりまえのこととして行われてきました。そうすることで目的が成就してきていました。

ここで気になるのは、「思い込む」という一つの「念」が実現のために大きな力を発揮しているということです。

この「念」をはずしたらエネルギーは半減してしまい成就は困難なものになるでしょう。

この「思い込む」というエネルギーの元である「念」は「想像」が熟成してはじめて生まれる感覚なのでしょう。
「想像」は「念」を生み出す下地といえるといえます。

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おもしろいことに、ほとんどの方が未来のことを疑いの無いレベルで信じていることが最低一つはあります。

それは、また明日が来るということです。

何度も何度も繰り返されると、たとえそれが未来の出来事だとしてもほとんどの方は疑いもせず言い当てることができるということになります。

私たちにとって、1秒先のことも未来のことです。

例えば、健康な方はその1秒先にも私たちの身体は正常に機能していることに疑いをもつことなく、1秒1秒を過ごしています。

これは1秒先とはいえ未来の実現を確信的にイメージできている状態です。

では、その1秒間が積み重なって1年先があるわけですから、1年後あるいは5年後の夢がかなった結果を確信的にイメージできないのは何故でしょうか?

心のどこかで、「そんな先のことが分かるわけがない」と思い込んでいるのも一つの要因なのではないでしょうか?

これは、「実現しないことを思い込んでいる」と言い換えることができそうです。

そしてそれを確信するわけです。

このように私たちは無意識のうちにも選択したイメージがものごとの判断や行動に先行し、現実はそれに沿って進んでいるようです。

選択したイメージの方向へは私たちの身体は積極的に動いていきますが、反対方向へは心身ともに積極的にはなれないようにできています。

つまり、良いにしろ悪いにしろ選択したイメージには、その実現のための吸引力が有りそうです。

私たちは正しい選択、間違った選択、好ましい選択、妥協しての選択・・・というように様々な選択の機会を通過しながら進んでいき、振り返ってみるとそれらの選択の積み重ねが生きたあかしとも言えそうです。

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